気まぐれ日記 08年8月

08年7月はここ

8月1日(金)「冷夏の幕開け?・・・の風さん」
 昨夜は上司の送別会だった。会社の仕事(そこには人間との関係が濃くにじんでいる)に誠心誠意取り組んだ姿が、あらためて浮き彫りにされ、感銘を受けた。これが、私の働いている会社の風土の象徴であり、日本人の優れた点だと思う。私自身はとても実践できないが、そういった日本人を文学として表現する使命を強く感じる。
 そして、さらにその人間が生きた時代背景を、正しい歴史認識を元に描きたいと思う。
 そのためには、私自身がもっともっと勉強しなければ、と思う。
 今日は、週明けのような1日だった。
 自動車産業は急激に下降線をたどり出している。経済が世界規模で同時に起きる時代である。勤務先の経営状況の見通しがきわめて暗い(今年度第一四半期に早くもそれが現れた!)。景気減速あるいは凋落は、企業活動に明瞭に反映される。すべてを切り詰めて、しのいでいかねばならない。さらなる経費圧縮、残業縮小……。会議に終始した1日だったが、何となく勢いがなくなっていく感じがする。外気温は高くても、社内の温度は低下しつつある。
 合間合間に英語の勉強でもしたかったが、昨日も今日も全く手が付かず。
 定時後に、バタバタと変なメールを送って退社したが、慌ててやったことにロクなことはない。しかし、後悔している余裕もなく製作所を出なければならない。管理職も門でIDカードのチェックが今日から始まった。
 今月はミッシェルの車検なので、購入店に持って行き、代車で帰宅した。明日の夜、受け取りに行く。

8月2日(土)「29割る5は?・・・の風さん」
 7時に目覚ましがセットしてあった。地元の複数の農家が経営している販売店へ行く用事があったからだ。
 今週、ワイフが実家へ出かけた。そのときの手土産に、そこでスイカを買って行ったのだが、あとで食べた義父から昨夜電話があり、「実がいってなかった」のだそうだ。私はスイカが嫌いという以上に体が受けつけないので、実感は湧かないが雰囲気は分かる。別に損害賠償を求める気はないが、一言伝えておいた方が良いのでは、とのことだったので、その役目を引き受けた。
 ワイフによると開店は8時とのことだったので、その直前に滑り込むことにした。家からクルマで5分とかからない。
 まだほとんど客はおらず、野菜売り場のレジのところに、責任者と思われる人物を含めて男が二人いた。
 スイカについていた製造者名も含めて、穏やかに事情を話したら、「ああ、お宅もですか。申し訳ありませんでした」ということで、どうやら不良品の苦情は他からもあったらしい。すぐに謝罪され、シールさえ持って来てくれたら返金します、とのことだったので、「近所に住んでいて気に入っているスポットなので、評判が落ちないように伝えに来ただけです」とカッコつけて店を後にした。
 帰宅してすぐ義父へ電話で報告したら、喜んでくれた。
 いつもと同じ朝食だったが旨かった。
 午前中、たっぷり時間ができたので、それから仕事がはかどったかと思うとそんなことはなく、早起きして疲れたので、書斎で寝転んで寝てしまった。
 これではいけないと、サンルームから使っていないCDラジカセを書斎へ運び込んだ。英語の勉強をするためだ。
 ところが、めったに使わない代物だったので、不調である。まるで昔のLPレコードのように針飛びする。三段跳びデジタルだ。新品を買う資金がないので、これで我慢しよう。
 ミッシェルを受け取る約束が7時なので、その前に同じ市内にある行きつけの床屋へ出かけた。入社以来利用しているので、もう29年目に突入している(笑)。
 東野圭吾氏は私の1年後に入社してきた。しかも同じ部に配属されてきた。それから3年後に江戸川乱歩賞を受賞し、会社は5年で退社して行った。氏の随筆か何かで、散髪は学生時代から利用している大阪の床屋へずっと通っている、と読んだ記憶がある。まさか今でも散髪のためにわざわざ大阪まで行っていることはないだろうが……。
 氏は5年で会社を辞めた。私は29年目に突入している。わずか5年で退社した氏が、今でも私の勤務先にいたことが話題になる。これまで私はそれが気に入らなかった。私は東野氏の何倍もの期間勤務しているのだから。
 しかし、近年は、そう言って突っ張ることができなくなってきた。私の勤務年数を氏の5年で割ったほどの(たとえば25年を5年で割れば5倍となるが、それくらい大きな)会社への貢献という自信がなくなってきたからだ。このままでは「老兵はただ去るのみ」になりかねない。だからこそ、敢えて老化に真っ向から立ち向かっているのだが。
 タイヤを新品(POTENZA RE11)にしたミッシェルを軽快に操って、ご機嫌で帰宅した(代車はカレンだった。やっぱり違うぜ)。

8月3日(日)「大家族のイベントを堪能・・・の風さん」
 早起きしたので、ワイフとモーニングに行こうと思って誘ったら、「行かない」という返事だったのでやめた。
 今日はワイフの親戚と名古屋で集まって夕食会の予定だった。早めに行くか、あるいは食事後に時間をとって、(私の)買い物やまた映画でも観ようかと提案したが、時間的な折り合いがつかず、これも流れた。
 まあ、どうせ学業が遅れに遅れているので、書斎に籠もって仕事することにした。
 3時前の電車でワイフが先に出かけるので、ミッシェルで駅まで送った。
 私は6時前の電車で行く。
 日本語の論文がいくらか進んだ。
 その間に、次女が、続いて長男が電車で先に名古屋へ向かった。
 51階にあるそのレストランに着いたのは、私が一番早かった。真っ直ぐ向かったからだ。
 10人が集まってみれば、何のことはない、今日は義父の誕生日で、さらに義理の両親の結婚50周年、私たち夫婦の25周年そして妹夫婦の20周年を記念するディナーだと言う。私は全く知らなかった(実は、以前に説明を聞いていたらしいのだが、全く覚えていない)。お祝いのスピーチとプレゼントの交換が次々に続いた。心のこもったプレゼントの連続に、私は圧倒された。
 こういったイベントは、かつて私が執念を燃やした「大家族の幸福の象徴」だった。子供たちが大きくなるにつれて、その夢は破れ、今ではすっかり忘れ去っていたものだった。また、その間に、私自身はますます多忙に自らを追い込んでいた。
 とにかく、当初観ようと目論んでいた映画も観られないのなら、今夜は失礼しようかと思ったほどで、あやうく重要なイベントに欠席するところであった。ますます焼きが回ってきたようである。やれやれ。

8月4日(月)「人生、そろそろギヤチェンジか・・・の風さん」
 今日は電車で出勤したので、当然、帰りも電車である。適当に会社バスに乗って最寄りの駅で降ろしてもらったら、連絡がきわめて悪かった。それで、すぐに来た鈍行に乗って、ちんたらぽんたら、家路をたどり始めた。計画にたっぷり時間をかけて、分刻みの高密度行動をとるのと正反対である。人生、そろそろギヤチェンジが必要か。
 帰宅してからも疲労で効率が上がらなかった。
 早めに風呂に入って読書しながら寝ようと思ったが、どんどん夜が更けていった。

8月5日(火)「ミッシェルのトラブル・・・の風さん」
 本社へ直行し、会議に出た後、製作所へ向かった。
 今日も体温を超える猛暑である。
 土曜日に車検を受けたミッシェルの調子がすばらしい。軽やかにエンジンが回るのだ。オイルに何か秘薬を入れてくれたらしい。もう一度詳しく聞かねば。
 会社の仕事もけっこう大変で、残業になった。
 9時に退社したが、やっと気温が下がってきたようだ。
 思い切りミッシェルで暴走したかったが、もう元気がなかった……と、突然、エアコンが効かなくなった。おかしい。信号で停止したら、ボンネットの隙間から湯気が立ち昇った。反射的に水温計を見たら、ぐんぐん上昇している。かつて走行中にラジエータ・ホースの断裂からオーバーヒートを2回経験しているので、類似の故障と判断した。
 自宅まではまだ10km以上ある。
 エアコンは当然切って、とろとろと走る。もうすぐ行きつけのガソリンスタンドだ。
 ガソリンスタンドは空いていたが、店員は何人もいた。事情を説明したが、整備のできる人間がいない、と言う。最近、半分がセルフになってしまったスタンドだ。高給取りの整備士の数を減らしたのかもしれない。
 ボンネットを開けて、風が通るようにし、アイドリングのままにしておく(いきなりエンジンを切ると残っているラジエータ内のフルードが沸騰する恐れがある)。そうして、しばらく待ってから(電動ファンによる冷却効果を期待)、エンジンを切った。やがて、手をかざしても熱く感じなくなったところで、ようやくリザーブタンクのキャップを外してみた。かなり減っていて、底の方に少し残っているだけだった。やはりどこかから漏れたのだ。
 今夜は、ガソリンスタンドにミッシェルを置かせてもらい、明日、修理屋に取りに来てもらうことにした。
 ケータイで呼んだワイフが迎えに来てくれたのは、だいぶ後だった。
 中日ドラゴンズ、山本昌投手の200勝達成手記が新聞に載っていて、読んで感銘を受けた。「頑張らなきゃ、もったいない」というタイトルで、彼の野球人生が凝縮されていた。私も同感だ。努力して成果が出ることを実感すると、人間は努力することが癖になるのだろう。

8月6日(水)「治具設計に夢中・・・の風さん」
 本社で会議があったので、今日は電車で向かった。会議の前に、ミッシェルの修理の手配をすべて終えた。
 代車を借りたので、会議の後、製作所へ代車で向かった。
 今日もすこぶる暑い。
 今週から、会社の仕事で、治具設計を始めた。私のような管理職が自らやることではないが、形を残したい性格なので、こういう創造的な仕事は大好きである。
 しかし、会社の机の上が、自宅の書斎の机の上と同じように超乱雑になっているのを見て、思わず苦笑してしまった。
 今日も残業して、だいたいの構想図ができ上がったところだ。明日、関係者の意見を聞いてみるつもりだが、詳細設計は夏期連休中に自宅ですることになるかもしれない。困った性格だ、忙しいのに。

8月7日(木)「米寿の母と国際政治論?・・・の風さん」
 今日は電車で出社。学生は夏休みなので、いくらか電車は空いている。
 午前中、夢中で仕事をこなし、昼食後、会社バスで最寄りの駅へ。明日のために半日早く出張に出発した。
 暑いので、荷物は最低限におさえている。本は、藤原正彦先生の文庫『祖国とは国語』だけをカバンに入れた。電車に乗ってすぐ読み始めたら、面白くて夢中になってしまった。だいたい3部構成になっていて、第1部は教育論だ。『国家の品格』と重なる部分が多いのは当然だが、日本においていかに国語教育が重要かが主張されている。17年ぶりに英語を勉強している私でも同感だ。
 それにしても暑い。電車や駅の待合室など、冷房の効いている場所から場所へとすばやく移動した。東京駅で東北新幹線に乗り継いだが、列車はそこにあるのに、なかなか入れてくれなくて、大変つらかった。恐らく今日の東京は猛暑なのだろう。
 郡山駅に着いたら、既に6時半ということもあり、かなり涼しく感じられた。そこからまたバスに乗り換えて、母の家へ向かった。
 実家に着いてすぐ、母をクルマに乗せて晩御飯を食べに行き、帰りに温泉に入ってきた。ここの温泉のお湯は少しぬるぬるした感じがあるが、成分は本物というか、色々な病気に効くようだ。
 帰宅してから、深夜1時過ぎまで母と国際政治と外交問題について語り合った(笑)。母はこの11月に米寿を迎える。

8月8日(金)「読書と英語の風さんの巻」
 午前中1本しかないバスで郡山駅前へ行った。集合時間まで余裕があったので待合室で『祖国とは国語』の残りを読み終えた。昨日で、第2部の愉快なエッセイ集を読み終え、第3部の藤原先生の生まれ故郷である満州訪問の旅に入っていた。最近、日本現代史の勉強をしているところだったので、非常に勉強になる。
 また、藤原先生は兄と同年齢で、同じように敗戦で大陸から命からがら逃げ帰って来ていることに気付き、よけい身近に感じた。
 仕事を終えて帰りの東北新幹線に乗ったのは4時半過ぎである。キオスクで買ったでん六豆をぽりぽり食べながら、『祖国とは国語』の最後の部分を読み終えた。これで今年やっと28冊目である。超多忙だった昨年よりペースが遅い。
 続いて、英語の勉強に取り組んだ。ケータイにCDの内容を録音してあるので、テキストを見ながらイヤホンで聴いた。
 東京駅で効率よく東海道新幹線に乗り換えた。乗ってビックリ。今回は往復ともに700系だった。アシュレイを持っていないときに限って、足元にACのコンセントがある(笑)。のぞみ車中でもケータイで英語の勉強。しかし、疲れていて、なかなか頭に入らない。
 帰宅したのは9時過ぎで、それから夕食。ワイフに帰省の報告をし、さっさとシャワーを浴びて寝た。

8月9日(土)「施餓鬼から休日出勤まで・・・の風さん」
 やっぱり就寝が早いと朝の目覚めは爽快だ……と言いながら、起床したのは9時近かったが(笑)。
 午前11時に、長男と近くのお寺の施餓鬼に出かけた。
 毎年参加しているが、都合がつく者が行くことにしているので、今年は私と長男が行くことになった。
 うちのお墓のあるこのお寺は、曹洞宗の禅寺で、知多半島では最も格が高いお寺とのことである。今日は、住職さん含めて7人のお坊さんが来ていて、例年通り、盛大でありながらも厳かな儀式が執り行われた。
 祭壇に置かれた位牌を前に焼香を終えた後は、別室で精進料理を呼ばれた。野菜の煮付けともずく、あと香の物に味噌汁である。いつものように完食した。横を見ると長男も完食。よしよし。
 いったん帰宅した後は、修理が終わったミッシェルを受け取りに行き、その足で製作所に出勤。製図をやるつもりだったが、1日半席にいなかったのでメールがどっさり溜まっていて、それらの処理をするだけで6時近くなってしまった。
 やや涼しくなった風が吹く中を退社。途中給油して、アクセルワークも軽やかに帰宅した。
 今夜も早めに寝ることにしよう。明日から、製図もやらねばならない。

8月10日(日)「1週間前の計画を実行・・・の風さん」
 今年の夏期連休中はずっと自宅にいるので、庭に出て、数年ぶりにウッドデッキに日除けの傘を設置した。これで毎夕庭に散水でもすれば、少しはしのぎやすくなるのだろうが。
 長男がバイトに出かけ、次女がクラブの合宿で不在だったので、ワイフと映画を観に行った。先週名古屋へ行ったとき、実は観たかった映画があったのだ。「ダークナイト」である。ミッシェルで30分ほどの距離にある映画館(この間「インディ・ジョーンズ」を観たところ)へ行った。近くのラーメン屋で食事を摂ってから乗り込んだ。毎日午後8時以降に開始する映画は一人1000円で観られる。安いのに、それほど混んでいなかった。
 映画は期待通りで、抜群に面白かった。007シリーズのように緊張の連続で、スパイダーマンのように人間ドラマが盛り込まれている。男のロマンを感じる。DVDが出たら買っておいて、よぼよぼの爺になる頃までに家にホームシアターを作ってまた観よう(初老の夢)。

8月11日(月)「金メダルに歓喜、アクシデントに苦痛・・・の風さん」
 北島康介の百メートル平泳ぎ決勝はぜひ観たかった。一見現代の若者風ながら、なかなかホネのある男のようで好きだ。
 そうしたら、見事な泳ぎっぷりで優勝。しかも驚異的な世界新記録である。4年間の鍛錬は筆舌に尽くしがたいものがあっただろうが(それは全選手が同じだろうが)、結果を出すということ自体がすごいことである。尊敬してしまう。表彰台で「君が代」を口ずさむ姿もカッコよかった。二百メートルでも頑張って欲しい。
 夕方、ワイフから飼い猫シルバーの異常を告げられた。ふかふかの毛をかきわけてみると、そこらじゅうに出来物があるという。その通りだった。
 獣医に触れられると凶暴になる猫なので、一緒に連れて行くことになった。
 爪で引っかかれることを一番恐れていた私は、前の両足をつかんで診察台に固定したが、油断だった。
 背後から診察を始めた獣医のわずかな接触で、シルバーは怒り出した。獣医に攻撃できないシルバーは、あろうことか、私の右手に激しく噛み付いたのだ。噛まれることはある程度予想していたが、爪で引っかかれるよりはマシと思っていたのがいけなかった。今までの噛まれ方と違っていた。本気で一気に噛み付いてきたのだ。2本の牙が深く右手に刺さった。くわえたまま離さない。止むを得ず、両足を握ったまま振り回して口を開けさせ、連れて来たケージに押し込んだ。
 左手も少し爪でやられていたが、右手にはまるで蛇に噛まれたような跡が残り、そこから血が噴き出していた。
 シルバーのためには、抗生物質とアレルギーの飲み薬をもらったが、負傷した私のためには、ほとんど何もしてくれなかった。
 「化膿するといけないので、人間の医者に診てもらってください」
 負傷した動物と同じだと思うのだが、うっかりしたことはできないのかもしれない。
 一緒に来たワイフは狼狽していた。いつも死にそうな私をほったらかしなのに、今だけは真剣に心配している。
 噛まれたところが早くも腫れ上がってきた。痛い。
 それで、時間外だったが、同じ町内の整形外科へ連れて行ってもらった。
 傷が深く化膿しても容易に膿が出ないだろうからと、麻酔をして二つの傷口に管を挿入された(4ヶ月前のカテーテルを連想してしまう)。レントゲンも撮られたが骨には異常はなかったようだ。抗生剤の点滴を受け、破傷風の予防のための筋肉注射もされた。飲み薬もどっさりもらった。明日もガーゼ交換の処置に来るようにと言われた。膿が出なくなるまで管は外せないという。
 9時に遅い夕食を左手で摂り、少しオリンピックを観てから、右手にビニールの手袋をしてシャワーを浴び、さっさと寝ることにした。しかし、今日はだいぶ予定が狂ってしまったので、ベッドの上で英語の勉強を1時間した。
 
8月12日(火)「回復は順調・・・の風さん」
 大学時代に右手が書痙になって以来、左手で字を書く練習をし、現在も肉筆で丁寧に書く必要がある時には左手で書いている。右脳を刺激するなど思わぬ効果もあるだろうが、けっこう左手は器用になっているらしい。昨夜のアクシデントで、夕食も左手で箸を使った。散らし寿司も冷奴も何の苦もなく食べられた。
 外科医が「片手で顔はどうやって洗うんでしょう?」と私をからかっていた。それをワイフに伝えたら、「簡単よ。猫みたいに洗えばいいじゃん」と即答。世の中には他人の不幸を自分の喜びにする人がいるから、いつまでも戦争が絶えない……違うか(^_^;)。
 昨夜は左手で歯ブラシを持って歯を磨いてみたが、これは全然駄目だった。同時に右手が動いてしまう。今夜は電動歯ブラシにしよう。
 今朝は、左手で顔を洗った後、電気カミソリで髭を剃った。左手で持ってやったので、剃り残しがいっぱいあった。明日は両手でやってみるか。
 パソコンに向かってキーボードを叩いてみたら、難なくできた。指を動かすのに支障はない。助かった。
 パソコンは使えることが分かったが、遅れている英語の勉強の挽回に着手した。
 夕方からガーゼ交換に出かけた。しっかり血と膿が出ていた。腫れは少なく、昨日の違和感よりも楽な感じ。また、抗生剤の点滴をしてもらって帰宅した。
 ちゃんと今夜もシャワーを浴びた。ワイフがしきりに誘うので、就寝前に日本酒を少し飲んだ。

8月13日(水)「噛まれる話・・・の風さん」
 英語の勉強にかなり力を入れている。よく考えてみたら、社会人入学試験を受けるまで16年間、英語の勉強をやめていたのだ。しかも、それまでの勉強はどちらかと言うと、「読み書き」だった。これを「話す聴く」に変えるためには、ひと工夫が必要だ。それで、初めて暗記に挑戦している。やさしい英語が暗唱できないでいることから、ようやく自分の理解の浅さを実感した。雰囲気で分かっているだけなので、「読み書き」は日本語力を使って補えるが、瞬発力を要する「話す聴く」には全く太刀打ちできないのだ。やさしい英文でも、電子辞書でチェックすると、簡単な単語が色々な意味を持っていることに気付いた。
 お盆なので夕方から墓参りに行き、そこから病院へ向かった。
 包帯を解いてみると、今日もまだ血と膿が少し出ている。しかし、腫れはほとんどない。
 それでも、土曜日まで毎日ガーゼ交換と抗生剤の点滴を続け(そのために明日と明後日は救急口から入るように言われた)、ようやく土曜日に管を抜くことになるそうだ。よく見ると、管は1本だが、その周囲を縫ったらしく、糸が飛び出ていた。
 「下でつなげてあるから、管は1本で大丈夫」
 外科医が自信たっぷりに親指を上げた。
 男性の看護師が面白いことを教えてくれた。
 私が病院へ駆け込んだ一昨日は、犬や猫に噛まれた患者だけでなく、ムカデに刺された患者も来たそうで、その日はそういう巡り合わせの日だったらしい。ご先祖様のお導きかもしれない。南無釈迦尼仏、南無釈迦尼仏、南無釈迦尼仏。
 話はそれだけでなく、看護師によると、噛まれて腫れ上がるのは普通の現象とのことで、4匹の犬を飼っている看護師は断言した。
 「一番ひどく腫れ上がるのは、犬でも猫でもなく、人間です」
 「ええっ?」
 「子供が喧嘩して噛まれて来ることがありますが、一番ひどいですね。人間の口の中が一番ばい菌が多いのでしょう」
 そういうことらしい。
 「うちの猫が舐めた食べ物を平気で私は食べますけど……」
 「私もうちの犬が食べかけたものを平気で口にしますよ」
 私と看護師は、動物愛護協会のような意見を交換した。

8月14日(木)「噛まれた傷が痛い・・・の風さん」
 朝から病院へ行き、抗生剤の点滴とガーゼ交換をしてもらった。左手甲の引っかかれた場所は、まだ明瞭に傷跡が赤く残っている。ここの傷跡がきれいになくなるくらいにならないと、深く牙の刺さった右手の回復はおぼつかない。
 今日も終日英語の勉強に専念した。
 その勉強の一環で、英語のカセットテープからCDを作成する必要があった。そのためのシステムは、以前、かなりの投資をして構築してあったので、あとはやるだけだった。ただ、このシステムは居間にあることから、ついつい北京オリンピックを観戦することになってしまう。
 今日も北島康介が期待に応えてくれた。拍手。
 しかし、男子バレーがカッコいい中国チームに接戦で敗れ、シルバーに噛まれた右手の傷がうずいた。

8月15日(金)「治具設計に夢中・・・の風さん」
 昨日に続いて今日も病院は休みだが、救患入り口から入って、特別にガーゼ交換と抗生剤の点滴をしてもらった。医師は臨時の人で、大学病院のインターンではないかと思う。
 帰宅してから60の英文の筆写をした。黙読して理解できたつもりで、さらに声に出して喋れたつもりになっても、それらを見ないで書こうとすると(実際はキーボード入力)スペルがいい加減だったことに気付いたりもするものだ。しかし、60の英文の筆写というのはけっこうハードである。やはり外国語の学習は若いうちがよい(だからと言って、国語もろくにマスターできていない子供には早すぎる)。
 課題の山積している夏期休暇だが、もういい加減、治具設計を始めなければならない。これは会社の仕事である。私のようなマネージャーのすることではないが、本人の趣味の問題もあって、取り組むことにした。構想設計は休暇に入る前に終わっているので、詳細設計をして組立参考図を書くのが狙いだ。
 遅い昼食後に、食卓の大きなテーブル(6人掛け)の上で始めた。基本的な設計知識は持っているので、今回の設計の武器は、購入部品カタログである。ありとあらゆる部品が掲載されていて、見ているだけでも楽しい。しかし、活字が小さいのでシニアグラスが必要だ。
 ときおりオリンピックも観戦しながら、深夜零時半まで頑張ったが、終わらなかった。

8月16日(土)「飼い主と飼い猫の共通点・・・の風さん」
 今日はいよいよ膿を出すドレイン(管)が抜かれる日だ。うっとうしい包帯からも解放される期待で家を出、車庫に向かった。これまで運転はワイフで、クルマはウィッシュである。……と、隣のミッシェルのエンジンの下を見て衝撃を受けた。
 小さな水溜りが……。
 なぜかというと、ミッシェルを運転しなくなってから、エンジンの下のあたり、コンクリートの上に水溜りがあることをワイフが発見していた。先週の土曜日にヒーターパイプの交換をしてきたばかりなので、まさかまたラジエターのホース関係が劣化して不凍液が漏れているのではないかと想像もしたが、ひたすら水溜りが大きくなるわけでもなく、消滅していることもあったから、「野良猫がオシッコをしていったのでは?」とのんきな結論を出したりもしていたのである。
 臨時の医師の処置を見学した。ドレインは糸で手の甲に縫いつけてあった。その糸を抜糸の要領で切断して除去すると、長さ1cm強のストローそっくりのドレインはするりと抜けた。ドレインは抜けたが、抜けた穴がぽっかりと開いていて、明日も消毒に来ることになってしまった。やれやれ。念のために、今日も抗生剤の点滴をしてもらった。ワイフに言わせると、老化している私の回復の遅れは、これから顕著になるらしい。
 帰宅して、真っ先に車庫内のミッシェルのエンジンの下をチェックした。
 「水溜りが大きくなっている!」
 これで、猫のオシッコ説は消えた。
 皿を持って来て、水溜り部分にあてがうと、エンジン部から緑色の不凍液が滴った。
 明日、また修理屋に依頼することになった。やれやれ。
 そもそも通院のきっかけになったのは、シルバーの皮膚の出来物が原因である。獣医から処方されたのは、飲み薬が2種類で、抗生物質と抗アレルギー薬である。もう1週間、飼い主と飼い猫の両方が、抗生物質のお世話になっていることになる。シルバーの皮膚の出来物も着実に快方に向かっている。よかった。

8月17日(日)「夏期休暇の最終日・・・の風さん」
 今朝で7日連続の通院となったが、臨時の医師から「まだ腫れていますね」という冷徹な診断がなされ、また抗生剤の点滴を受けただけでなく、明日もまた病院へ来ることになってしまった。結局、通院尽くしの夏期休暇から、休みが明けても通院になってしまった。こうなると、老化した肉体ゆえの回復の遅さで、いつまで通院となるか分からなくなってきた。
 夕べというか今朝の3時過ぎまで治具設計をやっていたが、結局終わらなかったので、帰宅して続きをやった。
 それが午後3時頃にようやく終わったら、今度はミッシェルの修理のための受け取りにKさんがやって来た。しばらく歓談した後、ミッシェルはKさんの運転でそろそろと去って行った。ラジエータ周りのホース類は全交換してもらう。ミッシェルよ、しばらく、さようなら。代車のカローラが残った。色はシルバーだ。おっと、縁起でもない。
 その後、北京オリンピック、卓球女子の3位決定戦「日本vs韓国」戦を観た。力負けだった。
 夏期休暇でやり残した事が山のようにあるが、めげずに頑張ろう。

8月18日(月)「また点滴、また抗生物質の投与・・・の風さん」
 痛々しい包帯姿のまま夏期休暇が終わって新学期……じゃなかった、また会社員生活が始まる。遅れている仕事が山のようにあって不安である。
 その初日から電車で出社。理由は、まだ右手によるハンドル操作に若干の不安があることと、代車のガソリンの残量が気になること。ま、とにかく、昨日で何とか製図を完了したので、カバンの中の治具図面だけが、今日の自分の背中を押してくれる。
 出社してしまえば、いやでも仕事の荒波の中に巻き込まれてしまう。それらをてきぱきとこなして、あっという間に定時になった。会社バスに乗って最寄の駅へ。
 今夜、地元の花火大会があるので、浴衣姿の若い女性が次々に電車に乗り込んでくる。うちの長女も、名古屋から浴衣でやって来ているはずだ。変なファッションにはちょっと眉をひそめることもあるが、浴衣にも興味を持ってくれる現代女性にひとまずホッとするのは、やはり私が年とったせいか(^_^;)。
 長女や次女の送り迎えがあるので、今夜の通院は、自分で代車を運転して行くことになった(父親の悲哀)。先週の月曜日以来である。全く加速感のないカローラだが、右手にやや不安があるのだから、ちょうどいいか。
 今日こそ終了すると期待していたのに、またダメだった。ガーゼが傷口にくっついていて、さらりとはがれなかった。つまり、傷口がまだじくじくしているのだ。抗生剤の点滴を受け、また新たに抗生物質の飲み薬ももらって帰ることになってしまった。明日も来なければならない。
 帰宅して、夕食後、参考文献をチェックしていたら、とても気になる論文を発見した。論文を集めたのはいいが、読まないままにしている論文が多い。やはり、要注意だと思ったから集めたのであって、ざーっとでも目を通さなければいけない。

8月19日(火)「包帯姿も今日までか・・・の風さん」
 代車で出社した。クルマでの通勤時間は英語の勉強をしなければいけないのに、代車ではそれができない。少し焦る。
 今日は職場の人間一人一人に念を押す仕事があったので、右手の包帯姿を見られ、いちいち猫に噛まれた話をしなければならなかった。コミュニケーションには非常に好都合ではある。その中で、犬に噛まれた経験のある同僚がいて、かなりひどく腫れ上がり、やはり膿を出すためにガーゼをピンセットで押し込まれたり、手荒な治療を受けたそうだ。今回の私の災難は、決しておおげさではなかったようだ。
 定時後、代車で病院まで直行した。1時間近くかかる。ガソリンの残量が気になっていたが、やはり途中で警告灯が一瞬点灯した。そろそろ10リットルぐらいになっているに違いない。明日にはミッシェルを返してもらわなければ。
 通院はついに9日目である。しかも今日まで毎日。今日こそは卒業したい。
 オペ姿の院長がやってきた。忙しい人だ。外来を診た後すぐ手術らしい。……などと同情していてはいけない。今日こそ完治・無罪放免してもらわなければ。幸い、包帯を解いて、ガーゼはぱらりと取れた。傷口はじくじくしていない。
 「もう痛くありません。大丈夫です」
 患者(私)は強く主張した。
 しかし、慎重な医師は、私の右手の傷口を押したりつまんだりつねったりして、「本当? もう大丈夫?」と何度も念を押してきた。それでも、患者(私)が「噛まれてすぐ処置してもらいましたので、こんなに早く治りました。ありがとうございました」と訴えたので、「じゃあ、とりあえず、今日は点滴なしで、様子を見ようか。飲み薬はなくなるまで飲むんだよ。そして、金曜か土曜にまた見せてね」と苦笑しながら承諾しつつも、しっかり釘を刺すことも忘れなかった。
 軽く絆創膏を貼られて帰宅したが、その絆創膏は寝る前に剥がした。もう包帯も絆創膏もうっとうしくていやなのだ。これで、明日からは猫のように顔を洗わなくてよくなるはずだ。ばんざーい!
 
8月20日(水)「ミッシェル、今度こそ大丈夫かい?・・・の風さん」
 代車で出社する2日目だ。ガソリンの残量が気になるが、まあ、何とかなるだろう。
 会社の診療所で4週間に1回受けている血圧の診察を受けた。そのとき、猫に噛まれた話を面白おかしく語ったら、内分泌系の医師も笑ってくれた。それでも、いちおう包帯のとれた私の右手の傷のあたりを触って、ひと言。
 「まだ少し赤いですね。それに熱もある」
 やだやだ。また通院が始まるのは絶対ごめんだ。
 ここ1ヶ月は英語の勉強に力を入れているが、読書もそれなりにやっている。年初からコツコツと読んできた鈴木輝一郎さんの『森武蔵』を読み終えた。2段組で400ページ超える長編だったが、各節が新聞の連載小説のように短いので、就寝前のわずかな時間に読み進めてきた。輝一郎さん独特の言い回しがあって、私は真似できないので、それが面白い。今回の作品は現代にも通じるテーマで、ある非常な状況に置かれて、鬼にならざるを得ない人間を描いたものである。中途半端に生きていれば普通の人間だろうが、家族や家臣、領民への想いが強ければ強いほど鬼になってしまうというものだ。この作品では、女子供も手にかけてしまう非情の武将として森武蔵(蘭丸の兄)が描かれている。
 これで、今年通算30冊目になる。
 定時後に修理が完了したミッシェルを受け取ってきた。9日に車検を完了して受け取ってきて以来、まだ100kmも走っていない。これだけ修理してくると、あと2年というより4年ぐらい乗らないと損する気がするな。そうなると19万kmぐらいになってしまうか……。
 有料道路を110km/hで爆走して帰宅。
 女子ソフトボール、上野投手の1日で2試合連続延長戦、一人で完投というすさまじさに脱帽。
 その2試合目をテレビ観戦してしまったため、ほとんど仕事できずに就寝。

8月21日(木)「女子ソフト、なでしこの活躍に感動・・・の風さん」
 仕事を終えて会社の建物を出たら、やけに涼しい風が吹いていた。空も暗く、日が短くなったことを感じる。猛暑からいきなり秋深しといった風情である。
 しかし、驚いている場合ではない。女子ソフトの決勝となでしこサッカーの3位決定戦が気になる。男子団体の不甲斐なさに比べて、女子は応援し甲斐がある。
 帰宅して夕食もそこそこにテレビ応援(入院している時でも、全くテレビを観なかった風さんがこれだから、気まぐれは恐ろしい)。
 昨日よりややスピードが落ちながらも丁寧にコーナーをつく上野投手と、少ないチャンスでも着実にバントでランナーを進めて相手にプレッシャーをかけていくという、基本に忠実な(好感のもてる)攻め方に感心した。
 そして、期待に見事に応えて有終の金メダルだった。次回ロンドンオリンピックの公式種目から外れているだけに、本当に金メダルがとれて良かった。日の丸ははためていなかったが、君が代をくちずさむ選手の姿にも感動した。
 なでしこは強豪ドイツに襲いかかったが、無念の4位になった。しかし、この4位はすごい。世界で4位だ。男子サッカーが、あれだけ騒がれても、オリンピックも世界選手権も上位に入れないのに……。
 明日は朝が早いので、またまた何もできず、さっさと就寝。気になる右手の傷は悪化はしていない。

8月22日(金)「絶不調の風さんの巻」
 6時に起床した。右手の傷の小さなかさぶたが一つ取れていた。よしよし。
 有料道路を突っ走って本社へ出張。
 会議を終えて製作所へ。
 実は毎日会社の仕事でトラブルが発生している。けっこうピンチだが、ノイローゼになっている暇はない。なにしろ、私自身の仕事もピンチである。英語の勉強こそ少しずつやっているものの、日本語の論文を書くためのアイデアが浮かばない。だから、9月の国際学会の発表の準備に手をつける気にもならない。まして、作家としての仕事を再開する気力も湧かないのだ。
 月曜日に気になる論文(もちろん英語)を発見したが、内容を理解できない。イライラは頂点に達していた。何とかしなければ、と会社にいても気が気でなかった。
 そこへ、たまたま製作所へ来ていた重役から呼び出しがかかった。5時半に応接室へ来い、と言う。ドジな私は今週変化があった人事問題かと思ってのこのこ出かけていった。定時後整形外科へ行かなければならないので、帰り支度をした状態である。
 ところが、重役の用事は全く違っていた。今週の出来事ではなく、先週指示したことに対する進捗フォローだった。
 しどろもどろになって答えているうちに、当然完了していなかったので、「じゃあ、いつ完了するのだ?」という最後通牒が突きつけられてきたのだ。それに対して、「実は、今、それどころではない問題が起きていまして……」と白状したために、雷が落ちた。
 「なぜすぐに報告しなかった? 隠すつもりだったのか?」
 「いえ、そんなつもりは……」と言い訳しても、もう遅かった。
 「時間がないから部長へしっかり説明しておくこと。詳細はあとで部長から聞くから」
 「は、はい」
 重役は製作所を後にした。
 時間のない私は、すぐに本社にいる部下へ電話して、部長への説明を依頼し、ミッシェルで整形外科へ向かった。
 50分後に整形外科に着くと、診察券を出してすぐ、また本社の部下へ電話。
 来客対応中だった部下は、客を待たせておいて、30分かけて部長へ説明してくれていた。感謝。
 一方、猫に噛まれた傷の方は、ようやく無罪放免となった。やれやれ。
 会計を終えて外へ出て、会社の仕事の問題対策のために京都へ出張している部下へ電話。
 対策は思うようにはかどっていなかったが、何とか当座しのげるように手は打ってくれていた。感謝感謝。
 それを本社の部下へ電話連絡。とりあえず、ここまでか、と合意した。諸方面で活躍してくれている部下たちに、感謝感謝感謝。
 疲労困憊して帰宅。
 夕刊を開いたら、楠木誠一郎さんの近刊『御触書』の書評が載っていた。自分のことのようにうれしかった(自分の執筆がさっぱり進んでいないので、努力の末にこういった成果が出ていることに感激してしまうのだ)。男子400mリレーの結果が気になるが、私には時間がない。書斎へ直行して、夕刊の書評をスキャナーで取り込んでpdf化し、メールに添付して楠木さんへ送った。すぐにお礼の返信が来た。本人も知らなかったとのこと。送った甲斐があった。
 それから、気になっていた論文の理解に取り組んだが、午前零時過ぎまでかかって、詳細には理解ができないものの、徹底して理解する価値がないことだけは分かった。しかし、もはや時間が残っていなかった。日本語の論文をどうするか、自分なりの提案をまとめることができないまま、明日、大野先生とのゼミに臨むことになってしまった。
 その間に、日本の男子400mリレーが、38秒15という立派な成績で、銅メダルを獲得したことを知った。見事としか言いようがない。

8月23日(土)「ゼミで救われた風さんの巻」
 憂鬱な気分を抱えて、ゼミをやるために本山へ出かけた。
 ケータイに英語のCDの内容を録音してあるので、電車の中ではひたすらそれを聴いた。聴いて分かることと、話せるために分かることは別なので(これは鈴木輝一郎さんの言い回しだな)、話すための訓練は別にやらなければならない。
 ゼミではもっぱら悩みを打ち明けて、先生のアドバイスを求めた。その道の達人である先生からすれば、私の悩みなど屁の突っ張りにもならないので(これは柔道100kg超級で金メダルの石井選手のセリフか)、さらさらと解決策の方針が示される。その方向に沿って私はアイデアを出して、先生が「うん、うん」と頷いてくれて、私の悩みは雲散霧消して行った。
 帰りに名古屋の三省堂書店に寄って、参考書籍を探した。狙いのものはなく、別の本を買ってしまった。
 終日小雨の降るあいにくの天気だったが、気分はだいぶ晴れやかになった。

8月24日(日)「秋来ぬと・・・の風さん」
 今日も不安定な天気である。
 大学院で研究助成金をゲットできたので、来年3月までにドイツへ行くつもりだ。往復航空券がいくらぐらいするのか、ネットで調べてみた。当然、格安チケットを発売しているHISのページである。フランクフルト行きは、セントレア発より成田発の方が格安はたくさんあった。5万円を切るものまであった。今回は学生気分で超格安旅行に挑戦してみるつもりなので、助成金で十分行けそうだ。
 ところが、一つだけ誤算があった。パスポート(10年有効のやつ)が、今月21日で切れていたのだ。再取得しなければならない。
 昨日の方針に沿って、学業にも取り組んだ。何とか進んだが、こういうときに限って疲労が襲ってくる(笑)。夕方、とうとう書斎でダウンしてしまった。
 窓の外が暗くなった頃、目が覚めた。
 すると、かなり高音の雑音が耳についた。電源が入っているクーラーかCDプレイヤーかパソコンか……、と思って、あれこれ調べてみたら、この音は、外から聞こえてくるものだった。
 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる  『古今和歌集』 藤原敏行
 しかし、実際の音は、虫の大合唱だった。
 まだ蜩(ひぐらし)の声も聞いていない気がするのに、もう秋の虫か?
 秋きぬと目にはさやかに見えねども虫の音にぞ驚かれぬる、か。
 
8月26日(火)「不調・・・の風さん」
 起床して洗顔した後、ふと右手を見たら、シルバーに噛まれた傷の最後のかさぶたが取れていた!
 11日の夕方に噛まれてから、実に15日目である。やはり傷が深かったのだろう。これから皮膚が再生されていけば、やがて跡形もなくなる時が来る。
 出社して、いつもの忙しい1日を過ごした。昨日のダメージで、イマイチ元気が出なかったが。
 それで、今日は早めに帰宅することにした。
 夕食後、うまい具合に時間が確保できたので、思いっ切り英語の勉強をすることにした……が、ボケた頭脳での勉強は効率が悪い。焦るやら落ち込むやらイラつくやら、精神状態は不安定だ。
 そろそろシャワーでも浴びるか、と思って書斎を出たら、長男が帰宅して来たところだった。大学2年の男子なので、ほったらかし、である。自分の部屋に入ってすぐ出てきた。
 「お、どうした?」
 「部屋の中をカナブンが飛んでいる!」
 長男の部屋を覗くと、確かに黒っぽくて丸い虫が、羽音を響かせて旋回している。
 「飼っているんじゃないのか?」
 「まさか」
 
8月27日(水)「英語の勉強にも黄信号・・・の風さん」
 会社の仕事が相変わらず大ピンチである。今日も役員が指導のために職場にやってくる。帰宅が遅くなることは明らかだが、諸般の事情により電車で通勤することにした(^_^;)。
 自宅を出るときから、ケータイにイヤホンを接続して、英語の勉強を開始。駅までテクテクと歩く。運動の意味もある。まだ8月なのに、秋の気配が漂っていて助かる。
 電車に乗ってもずっと英語を聴き続ける。声に出さずに、唇だけ動かして反復練習の真似事をする。怪しい爺だと見ている人もいるだろう。恥ずかしい気もするが、もはや発表まで1ヶ月ないのだ。
 こうして職場に着くまで聴き続けた。
 会社の仕事の危機感も相当なものだが、英語の勉強の危機感も同程度である。昼休みに、社外の英語教室の情報をゲットしてみた。会社の割引制度もあるので、とりあえず3ヶ月ぐらい通ってみる気になってきたぞ。
 案の定、役員の指導は徹底していた。うちのマネジャー連中は、私も含めて反論できない。
 職場の危機は皆で克服するものだが、自分の危機は自分で何とかするしかない。
 帰宅が遅くなり、飲み会のワイフの駅までのお迎えなどもして、わー、今日はほとんど仕事ができなかった!

8月28日(木)「どこにいてもピンチ・・・の風さん」
 昨夜も役員の指導により、会社生活29年目のプライドはものの見事に消し飛んでしまったので、もうやるっきゃない、という「くさいセリフ」を吐きながら、あらゆるスケジュールを無視して、終日、問題対策の陣頭指揮を執った。よく言われる「現場・現物」に忠実に取り組んだので、職場で起きている問題の複雑さがよく分かった。明日もやるっきゃない。
 会社の昼休みに内職すらできなかったので、帰宅してから、とにかく英語の勉強だけはした。少しずつ英語の知識は戻ってきているのだろうが、オーラルに強くなったとは、とても言えない。そもそも、暗記するほど喋って聴いているのに、ちっとも暗記ができない。昔から暗記を嫌っていたが、もうこの歳で再チャレンジは無理なのだろうか。外部の英会話教室の物色まで始めている。
 今夜は雷雨になっている。

8月29日(金)「豪雨の余波・・・の風さん」
 愛知県は岡崎で集中豪雨になり、昨夜は大きな被害が出ていた。天候がおかしい。地球環境破壊のために、母なる星、地球が怒っているのではないか。
 午前中は、昨日の続きをやった。また少しだけ進んだ。来週も継続的に取り組んで行かないと、なかなか定着しないだろう。それだけ、生産活動というのは、気配りと根気と細心の注意が必要なのだ。
 午後、本社へ出張して、QCサークル発表会の審査員のはしくれをやらせてもらった。まだ10代の若い社員たちが、臆することなく(と言うよりリラックスして)難しい技術や技能を要する内容の発表をしていた。そういった若者たちの姿を微笑ましく眺めているということは、私もやはり爺になったということか(そんな感慨に浸っている間に、今日も製作所の職場に役員が来てくれて、またまたご指導会になり、今日は現場指導もされたそうだ)。
 小雨の降る中、帰宅したら、ワイフがいた! なぜ驚いているかと言うと、今日は名古屋三越で開催されているトール展の会場立会いに行っているはずだったからだ。
 「行ったら、地下に浸水したとかで、臨時休業になっていたの。電気設備も止まっていて、冷房やエレベーターも動かなくなっていたわよ」
 行くまで知らず、連絡網が機能しないことの方が、会社員の私には気になるところだが、とにかく昨夜の豪雨はひどかったということだ。
 書斎に入って、メールチェックしたら、会社の同僚から「有休をとって行ったのに、三越が休業していました」という落胆メールが届いていた。なんとも申し訳ないことをした(と、誰に代わって謝罪しているのだろうか?)。

8月30日(土)「マイトガイが聴ける・・・の風さん」
 今日も強い雨が朝から降っている。
 英会話教室へ通うかどうか、ギリギリまで迷っていたが、けっこう授業料が高額で、会社の補助が得られそうもないため、断念した。最大の課題は発音とイントネーションなので、これもCD付きのテキストで独学にすることにした(その方が安い)。ついでに、インターネット上でも、しっかり教えてくれる親切なページがあって、すごく感動した。目からウロコってやつ。
 新聞に大ファンの小林旭「デビュー50周年記念コンサート(10月29日)」のチケット販売が出ていたので、ネットから予約した。そしたら、あとからチケット代振込み依頼メールが届いたのだが、振込み期限が来週の月曜日の午後3時だって! ひぇー。これも一種のぼったくりか霊感商法じゃないの? 
 ま、それでも、聴きに行くけどね。
 今日は日本語の論文の重要な部分についてあれこれと考えた。早く書き始めたい。
 夜になっても雨は完全には上がらない。子供やワイフの送り迎えもけっこう大変だ。
 私もだいぶ疲れた。
 
8月31日(日)「秋田慕情・・・の風さん」
 数日ぶりの青空が広がった。高く澄み渡っている。
 朝食のクロワッサンを食べている時に、開いた出窓の隙間から、つくつく法師の鳴き声が聞こえてきた。かなかな……と鳴く蜩(ひぐらし)の声を聞く前に、こちらが先だった。どちらも季語は「秋」である。
 サンルームの中をヤスデがのそのそ歩いていたので、ティッシュでつまんで外へ放り投げたら、だんご虫みたいに丸まってウッドデッキを転がって行った(あ、これって、秋の風情と関係ないか)。
 昨日の朝刊に、全国共通学力テストの結果が報じられていた。記事は全国格差のことを指摘していた。中学3年、小学6年ともに国語や数学(算数)は秋田県が全国1位で、沖縄県は最下位だった。気になる文章は、「大規模都市部では、できる生徒は私立へ行く傾向があるため、平均並みだった」という部分。このことは、大規模都市部の公立の生徒は、私立へ行けない劣等生だ、そもそも大規模都市部は地方に比べて成績は上に決まっている、と主張しているのと同じである。新聞のように非常に多くの人たちに読まれる文章は、細心の注意を(組織的に)払わなければならない。
 しかし、そもそも格差を悪者扱いしていることが気に入らない。格差を明確にして差を縮めたり、より高いレベルを目指すことが自由と民主主義の基本であろう。そうでなければ、極端な例として、北島康介のようなスポーツエリートも否定することになってしまう。あらゆる分野でエリートを作って行かなければ、大きな組織(国のこと)の力は落ちてしまう。競争は必要なのである。
 それにしても我が心の故郷「秋田県」が全国1位とはめでたい。逆に、自殺率、人口減少率全国1位は、早く返上してほしい。
 昨夜遅く、リビングへ降りて行ったら、BS-2で「大曲(おおまがり)の花火」を中継していた。全国の花火師が技と芸術性を競う伝統の行事である。私はそこに小学3年から中学1年まで暮らしていた。合併によって大曲は秋田県大仙市という特徴のない名称になってしまったが、花火は依然として「大曲の花火」である。再来年には大会発足100年になると言う。そのうちまた行きたい。
 昨夜の大曲は気温16℃。会場を後にする客たちの服装も、すっかり秋支度である。
 今日も終日、書斎で勉強だった。空をとんぼが乱舞していても、私は外へ出る余裕もなかった。

08年9月はここ

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